時は金なりか

私ができることは何だろう。
ふと考えてしまう。
私は何がしたいのだろう。
芯は音楽であり、金はいつも邪魔をしてくる。
金が無ければなどと思ってみたりする。
金を切り離せば沢山の人が夢を見ることができる。
夢を元に行動し学ぶことができるはずだ。
本来存在などしていない漠然とした概念に我々は
こうも振り回されるのか。
その概念とは金であり、夢であり、人間である。
稼ぎたいからではない。
誰かの人生を少しでも豊かにしたいのだ。
いや、そんな大きなことは望まない。
ただ数秒でもいい。
その人の役に立ちたいのだ。
役に立てたという経験に浸りたい。
結局は自己満足なのだ。
だからこそ時間が惜しい。
貯蓄を増やすことに頭を使いたくはない。
先を見越すことも大切だろう。
しかし今日という一日よりも大切なのか。
今息を吸うこの瞬間よりも大切なのか。
明日を素晴らしいものにするために
今この瞬間を疎かにはできないだろうに。
欲は時に我々の視界を曇らせる。
創作に時間を割きたい。
しかし私のような無力な人間は
金がなければ腹も満たせない。
これは生き物として既に
死んでいるようなものではないのか。
どういうからくりかも分らぬ物に囲まれて
いつしか抵抗は無くなっている。
この世の歯車として
皆金を稼ぐために生まれてくるのか。
我々は部品に過ぎないのか。
だとするのなら
この世界は地獄だ。
稼ぐことは皆が思っているよりも
簡単なことではある。
しかしそんなことに時間を割くのか。
金の結びつかないところで人は
幸せを感じられなくなっているのか。
時よりも金を惜しむか。
私は間違えているのだろう。
この世界がプログラムであり
私はその一部なら
私はバグに違いない。
なぜこうも苦しいのだ。
私は今日一日を
一人で生き抜いてみせた。
明日の私は何を思い、どう立ち回る。
昨日の私はもういない。
時というものは
なんと素晴らしいのだろう。
限りあるものだからこそ
美しく儚いのだろうな。




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